AIは、その途方もない変革力をついに発揮し始めています。テキスト、画像、動画、音声など、さまざまな領域でAIを活用した新製品が次々に登場していることが、その証です。しかし、実用化された製品に目を向けると、続くAIブームの中で、明らかに存在感の薄いモダリティがあります。それは、物理的な動作です。
ロボットが担う物理的な動作の多くは依然としてモラベックのパラドックスに阻まれ、他のモダリティよりはるかに進歩が遅れています。もちろん、これには正当な理由があります。物理的な動作を自動化するソリューションは採算を合わせるのが難しく、頻度の低い多種多様な作業まで正確にこなすのも容易ではありません。
しかし、この2年間でロボティクス分野への人材と資金の流入が加速し、研究も進展しました。互いに関連する複数の研究で、より汎用的なロボット、すなわち幅広い用途に対応できるエンボディドAIエージェントの実現を目指しています。ロボティクスにもスケーリング則が適用できるという仮説の検証や、ロボット動作に視覚言語モデルを応用する研究が進んでいます。ロボティクスデータをさらに活用するための共同学習やクロスエンボディメント学習の手法も進展し、真のエンドツーエンドのロボット学習を実現するため、ニューラルネットワークと低レベル制御を結びつける研究も行われています。
さらに、第一線で活躍する研究者たちが事業化を見据えた研究や新会社を立ち上げています。2024年だけでも、ロボティクスのスタートアップに数十億ドルの資金が投じられました。この分野に人材、資金、技術が集まっているのは、ロボット工学とエンボディドAIが隆盛期を迎えていることの表れです。この流れはいずれロボティクスの水平型プラットフォームの実現につながり、この分野でイノベーションを起こす機会をより多くの開発者にもたらすかもしれません。
ロボティクスの水平型プラットフォーム
ロボットは、まだ他のコンピューティングプラットフォームに比べ、まだ成熟途上にあるコンピューターと捉えることもできます。オペレーティングシステムや開発プラットフォームなど、開発を加速させるエコシステムの構成要素が整っていないのです。
これまでロボティクス企業は、企業間の横のつながりが乏しく、個別に開発を進めてきました。通常は、自動化する課題の範囲を限定し、その課題に特化したソリューションをゼロから開発していました。データの収集、ハードウェアの構成、インテリジェンスレイヤーの構築も各社が独自に行うことが少なくありませんでした。ROS(Robot Operating System)のようなミドルウェアや、ロボティクスソリューションの開発企業向けに市販の既製ハードウェアを供給するOEMは存在しますが、こうした製品が強固な水平型プラットフォームを構成しているわけではありません。むしろ、個別の開発ツールやロボティクスソリューションの構成要素として機能しています(ちなみに、ROSはその名称に反して、厳密な意味ではオペレーティングシステムではありません)。
このようなサイロ化されたアプローチには課題があります。開発者向けのツールやインフラはあっても、他のコンピューティング分野で見られるような「アプリケーション→インフラ→アプリケーション→インフラ」というサイクルが生まれていないのです。このサイクルが生まれると、共通プラットフォームの主要コンポーネントの開発が進み、開発者はそれを利用して多様なアプリケーションを構築できるようになります。汎用化に向けた動きが進み、ロボットインテリジェンスを支える水平型プラットフォームが整備されると、この開発エコシステムを加速させるための共通基盤を実現しあす。
現在の汎用ロボティクスの潮流の中心にあるのは、他のAIモダリティで観察されたスケーリング則がロボットの動作にも適用できるという仮説です。AIの進歩はデータと計算能力の規模拡大に依存するという「苦い教訓」をロボティクスにも当てはめる考え方です。用途ごとにロボットインテリジェンスのモデルを開発する代わりに、さまざまな環境やタスクに対応するロボティクス基盤モデルを実現できるかもしれません。規模の拡大によりロボティクスの課題を「解決」できるかどうかについては議論が分かれますが(賛否の論点はこちらを参照)、新しい民間研究チームを中心とする研究では、ロボットの動作を担う大規模なベースモデル(通常「ロボティクス基盤モデル」と呼ばれているもの)の構築に向けて、ロボットデータの規模を拡大する方向へ進んでいます。
データのスケーリング則が成り立つのであれば、この汎用化への動きがロボティクスの共通プラットフォームの出発点になるかもしれません。幅広く利用でき、さまざまな用途に対応できるロボットハードウェアのプラットフォームやインテリジェンスレイヤーが整備されると、ロボティクスアプリケーションの開発コストを削減できるでしょう。コンピューターが物理世界の情報を読み取り、そこに働きかけるための統一プラットフォームがついに実現するかもしれません。現在、その機能はビジョン、センシング、物体操作、移動などに分かれています。
AIとロボティクスの進歩を背景に、ロボティクスにも「ChatGPTのような瞬間」――この技術がマスマーケット向け製品として飛躍する転換点――が訪れるとの期待が高まっています。しかし物理世界は、仮想空間や人間が作り出した領域よりはるかに多様です。膨大な数のパラメーターが存在するため、単一の製品ソリューションで対応するのは難しいかもしれません。ロボティクスを飛躍的に進化させるのは、単一の消費者向け製品ではなく、機器、開発ツール、アプリケーションのエコシステムを支える共通のオペレーティングシステムかもしれません。iPhoneよりAndroidに近い形です。
新たなロボティクスプラットフォームを支える市場を機能別に見ると、次のような構造になると考えています。
新たなロボティクスプラットフォームの機能別市場構造
- フルスタックのロボティクスアプリケーション:自社のハードウェアやインテリジェンスレイヤーを組み合わせて開発し、独自のソリューションを提供
- ロボティクスアプリケーション:エンドカスタマーにロボットソリューションを提供する企業
- ロボティクス基盤モデル:さまざまなタスク、環境、機体に対応できる汎用的なロボットインテリジェンスを実現する大規模モデル
- ハードウェアOEM:ロボットのハードウェアの製造元
- 運用者向けツールとサービス:ロボットアプリケーションを導入する運用者やインテグレーター向けのツール
- 開発者向けのプラットフォームとサービス:ロボティクスの開発者向けツール
ロボティクス分野のスタートアップの歩み
商用ロボットを真剣に論じる際、避けては通れないのが、ロボティクス関連企業の業績が芳しくないという現実を避けて通れません。この分野では起業家、技術者、投資家の多くが手痛い経験を重ねてきました。
Kiva Systemsのように商業的な成功を収めた例は過去20年間でもごくわずかで、それも同時期の他市場の成功例と比べると控えめな成果でした。失敗例のほうがはるかに多かったのです。ロボティクス関連企業は概して、以下のような課題に直面してきました。
研究開発や導入の費用が、一般的なロボット作業を人が行う場合の賃金水準を大幅に上回るため、採算を合わせるのが難しい。
競争が激しくなり、ピックアンドプレースなどの汎用的な作業を担うロボットソリューションがコモディティー化した結果、利益率が低下する。
ロボットを安定して確実に動作させることが技術的に難しい。物理世界では100%正しく動作させる必要があり、80%の精度や独創的な対応では不十分である。
資金が尽きるまでの期間とイテレーションの回数が限られていると、製品を市場に投入できない。
市場の開拓やインテグレーションが難しい。
解決可能な問題空間に絞るか、市場規模を確保するかのトレードオフを迫られる。
今後の動向
こうした課題は克服できます。前述のとおり、この分野における現在の動向には、将来を楽観視できる理由があります。
その一つが、商用ロボット分野への新たな人材の流入です。この2年間で、第一線の研究者が大学や大企業の研究所から離れ、自ら会社を立ち上げるようになりました。ロボット工学の主要な論文の著者の多くはいまやPhysical IntelligenceやSkildなど、ロボットのインテリジェンスレイヤーの開発を目指す新興企業に所属しています。また、トップクラスのAI研究者も1XやFigureといったフルスタックのロボティクスアプリケーションを開発する企業に移籍しています。
NVIDIAのGR00TやHugging Faceのロボティクスチームのように、開発者を対象とする企業やAI企業の社内にもロボティクスに特化した部門が生まれています。
慎重な楽観論を裏付けるもう一つの理由は、過去1年間で、ロボティクスの水平型プラットフォームを目指す取り組みへの資金流入が急増していることです。もちろん、資金の急増だけで、このロボティクスの潮流が成功するとは限りません。それでも、水平型プラットフォームの足がかりとなる現在の取り組みには多額の資金が必要であり、資金流入は欠かせない要素です。長期的に見ると、こうした資金の動きを、カルロタ・ペレスが論じた金融サイクル(金融資本と生産資本の関係が変化しながら、最終的にはロボティクスの技術革命へとつながるサイクル)の初期~中期の段階と捉えることもできます。その先で、汎用的なインテリジェントロボットの構想がいずれ現実になるかもしれません。
とはいえ、決め手となるのは研究です。この2年間で、関連する複数の研究領域に大きな進展があり、新たな未解決の課題や研究の方向性が見えてきました。
ロボティクスの計画と推論への言語モデルの応用
ロボットのタスク計画での大規模言語モデルの応用、視覚入力や認識に関する推論への視覚言語モデルの応用、そしてエンボディドAIへの言語モデルの応用は、ロボットの推論能力を大きく高める可能性があります。特に、物理的な環境やタスク計画について推論するマルチモーダルモデルには大きな可能性が期待されます。また空間モデルや世界モデルも、物理的推論能力の大幅向上に役立つとみられる、新たな大規模モデルの領域です。
ロボットデータをスケールする多様な手法
ロボティクスにもスケーリング則が適用できるという仮説のもと、この研究領域では、分野の主要なボトルネックかもしれない課題に取り組んでいます。テキストや動画、画像とは異なり、ロボティクスにはインターネット規模のデータが存在しません。しかし、この潮流が目指す主な目標の一つは、スケーリングによって汎用ロボティクスの課題を解決することです。そのため、ロボットデータを大規模に収集するさまざまな手法の確立が、重要な研究テーマになっています。主な手法には、遠隔操作の改良や人間の行動の模倣学習、シミュレーションベースの手法、動画データ(特に一人称視点の映像)からの学習、低コストでロボットデータを収集できるハードウェア構成などがあります(中には、ロボットをまったく使わずに収集する方法もあります)。おそらく、これらすべて、あるいは複数の手法で収集したデータが必要になるでしょう。
エンドツーエンド学習と低レベル制御に向けた取り組み
言語モデルは高レベルの推論や計画の能力を高めます。一方で、ロボティクス基盤モデルに期待されているのは、その知能を低レベルのロボット制御にも広げることです。この10年ほどで、ニューラルネットワークは認識からタスク計画、モーション計画まで、ロボティクススタックのより多くの部分を担うようになりました。これをさらに低レベル制御までつなげ、センサー入力から動作出力までをエンドツーエンドでニューラルネットワークに任せられれば、ロボットの知能と汎用性を大幅に高めることができます。ロボティクス基盤モデルの可能性を最大限に引き出す上で、引き続き重要な研究領域となるでしょう。
クロスエンボディメント学習
クロスエンボディメント学習に関する研究では、異なる機体(エンボディメント)間でロボットポリシーを転用したり、ある機体で収集したデータを別の機体のロボットに利用したりする可能性が示されています。この研究は、主に二つの理由から、新たに形成されるロボティクスプラットフォームで重要な役割を果たします。第一に、ロボットデータのスケーリングを効率化できる可能性があることです。ある機体で収集したデータを別の機体にも適用できれば、スケーリングの成果が出始めるデータ量に到達しやすくなるかもしれません。第二に、物理世界の環境とタスクの多様性を考えると、環境とタスクのあらゆる組み合わせに対応できる理想的な汎用機体は存在しない可能性が高いからです。さまざまな機体に対応できるロボットインテリジェンスは、ロボティクスの水平型プラットフォームの汎用性や能力を大幅に向上できるでしょう。機体ごとに別のモデルを用意する必要がなく、共通ハードウェアプラットフォームとして単一の汎用エンボディメントだけに限定されることもありません。
革新的な最先端ハードウェア
センサーの低コスト化、器用な操作ができるロボットハンドの改良、新しい専用アクチュエーター、ヒューマノイドロボットの新規開発など、いずれもロボティクスプラットフォームのハードウェア能力の向上につながります。一般に、ロボットの器用さと移動能力が高まるほど、ハードウェアの制約は少なくなります。しかし、ハードウェアを進歩させるには、機能の向上だけでなく、システムの採算性や製造のしやすさの改善も求められます。こうした進歩のすべてが、ロボティクスプラットフォームのハードウェア能力向上につながります。
新たな事業機会
ロボット分野でこうした動きが活発化する中、起業家が新たなロボティクスプラットフォームの重要な構成要素を開発できる機会は数多くあります。以下にその一部を挙げます。
低コストのハードウェア、VR、ゲーム、マーケットプレイス、メカニズムデザインなどを通じて、多様な環境のロボティクスデータをクラウドソーシングで収集する手法。
ロボットデータの収集とアノテーションに特化し、創意工夫によって大規模なデータ収集のコスト効率を高める遠隔操作事業。
特定のタスクや環境に特化したデータを生かしたロボティクスアプリケーション。その分野固有のデータを用いたカスタムソリューションを開発すれば、今後ロボットの知能全般が進化した際に、その成果を取り込める可能性があります。
シミュレーション、データの処理や観測、遠隔操作などの関連ワークストリームに役立つロボティクス開発者向けのツールやプラットフォーム。
量産可能な先進的ロボットハードウェア(四足歩行ロボットや脚・車輪で移動する双腕ロボットなど)を製造する米国のハードウェアOEM。
インテリジェントマシンの未来へ
ロボティクスが難しい分野であることは確かです。物理世界で動く製品の開発には特有の難しさがあり、多くのチームがその壁に阻まれてきました。しかし、新たなロボティクスの潮流には、将来を楽観視できる理由がいくつもあります。人材、資金、研究をめぐるさまざまな動向が一つの流れとなり、新たなロボティクスプラットフォームが形成されつつあります。
この新たな発展サイクルに入る中で、ロボティクスとエンボディドAIのエコシステムが、自動運転車のような道(高度にサイロ化された長期的な集中型開発)をたどるのか、それとも言語モデルのような道(競合する多彩なベースモデルに支えられた分散型開発活動のエコシステム)をたどるのかは、まだ分かりません。後者によって強固なロボティクスプラットフォームが生まれ、この分野の成長をさせる好循環につながると、私たちは考えています。
新たなロボティクスプラットフォームの開発に携わっている方は、ぜひご連絡ください。
